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東京高等裁判所 平成6年(ネ)512号 判決 1996年3月27日

第五一三号事件控訴人・附帯被控訴人

エール・フランス・コンパニー・

ナショナル・デ・トランス・ポール・ザエリアン

(以下「控訴会社」という。)

日本における代表者

ベルナール・ラトゥール

第五一三号事件控訴人・附帯被控訴人

(以下「控訴人リスパル」という。)

ッシェル・リスパル(以下「控訴人リスパル」という。)

右控訴人両名訴訟代理人弁護士

青山周

第五一二号事件控訴人・附帯被控訴人

門山隆一(以下「控訴人門山」という。)

第五一二号事件控訴人・附帯被控訴人

金井浩二(以下「控訴人金井」という。)

第五一二号事件控訴人・附帯被控訴人

井上澄郷(以下「控訴人井上」という。)

第五一二号事件控訴人・附帯被控訴人

加藤隆宏(以下「控訴人加藤」という。)

右控訴人四名訴訟代理人弁護士

元木祐司

上野正彦

第五一二号・第五一三号

木原宥史

事件被控訴人・附帯控訴人

(以下「被控訴人」という。)

右訴訟代理人弁護士

高橋勲

守川幸男

中丸素明

後藤祐造

小林幸也

主文

一  控訴人門山の控訴に基づき、原判決主文第一項中同控訴人に関する部分を次のとおり変更する。

1  控訴人門山は、被控訴人に対し、二三万円及びこれに対する昭和六〇年八月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被控訴人のその余の請求を棄却する。

二  その余の控訴人らの各控訴及び被控訴人の附帯控訴をいずれも棄却する。

三  訴訟費用のうち、控訴人門山と被控訴人との間に生じた分は、第一・二審を通じてこれを一〇分し、その一を右控訴人の、その余を被控訴人の各負担とし、その余の控訴人らと被控訴人との間に生じた控訴費用は、控訴に係る分は右控訴人らの、附帯控訴に係る分は被控訴人の各負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

1(一)  原判決中控訴人らの敗訴部分を取り消す。

(二)  被控訴人の請求をいずれも棄却する。

2  本件附帯控訴をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

1  本件各控訴をいずれも棄却する。

2  附帯控訴として、原判決を次のとおり変更する。

(一) 控訴人らは、被控訴人に対し、連帯して一七〇〇万円及び内金五〇〇万円に対する、控訴会社については昭和六〇年八月一〇日から、控訴人リスパルについては同月一一日から、同門山、同金井及び同井上については同月八日から、同加藤については同月一四日から、内金一二〇〇万円に対する全控訴人について平成五年一月二八日から、いずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 控訴会社及び控訴人リスパルは、控(ママ)訴人に対し、連帯して五〇〇万円及びこれに対する平成五年一月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一・二審とも控訴人らの負担とする。

4  仮執行の宣言。

第二当事者の主張

次のとおり付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決八頁三行目の「現在」を「最近」に、同四行目の「従事して」を「従事し、最近になって『アナタリ』と呼ばれる作業のみを行うようになって」に、同一九頁二行目の「食わえ」を「くわえ」にそれぞれ改める。

二  同二〇頁二行目の「とったり」を「したり」に、同七行目の「光三郎」を「光三朗」にそれぞれ改め、同九行目の次に行を変えて次のとおり加える。

「同日午後四時直前、控訴人加藤が被控訴人の机の上にピーナッツの殻を捨てた。被控訴人がこれを写真に撮ろうとしたら、同控訴人が被控訴人に激しく体当たりして、撮影を妨害した。」

三  同三六頁五行目の「同一二日」を「同月一二日」に改める。

四  同四九頁七行目の冒頭から同末行の末尾までを次のとおり改める。

「被控訴人は、昭和五六年三月末以降、完全に仕事を取り上げられ、同年四月六日から窓のないセクレタリアの部屋に一人隔離され、同年六月八日から旅客課事務所に移転したが、この間全く仕事を与えられず、同月九日から同年一二月初めまでの間、遺失物係に配転されたが、ここでも実際には仕事を与えられず、同月初めから上司である控訴人加藤の指示のもとに統計作業に従事させられてきた(以下『仕事差別』という。)。なお、被控訴人は、現在はかつての統計作業には従事しておらず、最近、『アナタリ』と呼ばれる単純作業のみを行うようになった(ただし、本件違法行為としては、本件期間中のものに限定して主張する。)。」

五  同六一頁四行目の「被告らに対し」を「控訴会社に対し、民法四一五条、七〇九条又は七一五条一項に基づき、控訴人リスパルに対し民法七〇九条に基づき、その余の控訴人らに対し民法七〇九条、七一九条一項に基づき」に改め、同行から同五行目にかけての「債務不履行または不法行為に基づき」を削る。

六  同六二頁一行目から同二行目にかけての「債務不履行または不法行為に基づき」を削り、同六行目の末尾に続けて「被控訴人が最近になって『アナタリ』と呼ばれる作業を行うようになった点を除き」を加える。

七  同六四頁末行の「六月九日から」を削る。

八  同八八頁六行目の「本文」から同七行目の末尾までを「冒頭の被控訴人が、昭和五六年一二月初めから、上司である控訴人加藤の指示のもとに統計作業に従事させられてきたことを認めるが、これが違法であることを争い、(1)及び(2)の事実を否認する。」に改める。

九  同九六頁五行目の末尾に続けて次のとおり加える。

「民法七一五条一項にいう『其事業ノ執行ニ付キ』については、本件のようないわゆる取引外不法行為の場合には、いわゆる外形理論を適用すべきではなく、『(使用者の)事業の執行行為を契機として、これと密接な関連を有すると認められる行為』が基準とされるべきであり(最判昭四四・一一・一八民集二三・一一・二〇七九)、単に当該不法行為が就業時間中に、就業場所で行われただけでは、『就業ノ際ニ』といえるにしても、『其事業ノ執行ニ付キ』には当たらないというべきである。」

第三証拠関係

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  当事者について

1  被控訴人

請求原因1(一)は、被控訴人が最近になって「アナタリ」(<証拠略>)と呼ばれる作業を行うようになったこと、及び被控訴人が組合に加入した時期を除いて当事者間に争いがなく、証拠(<証拠略>)及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人は、入社後間もなく組合に加入し、昭和五〇年に羽田空港旅客課職場委員・評議員に、昭和五四年に民航労連成田地方連合会常任理事に、昭和五五年九月に同連合会事務局次長(会計担当)にそれぞれ就任したが、同年一〇月に中央執行委員になった控訴人門山が右連合会常任理事に就任したため、同連合会常任理事及び事務局次長を退いたことが認められる。

2  控訴人ら

請求原因1(二)の事実は、控訴人金井が組合の成田支部委員長に就任した時期を除いて当事者間に争いがなく、証拠(<証拠・人証略>)によれば、控訴人金井が成田支部長に就任したのは、昭和五六年二月であること、同控訴人は、昭和六三年八月に支店長代理となり、同年一〇月に旅客課長を兼務し、平成元年一月に組合を脱退したこと、控訴人加藤は、昭和六一年九月一五日に旅客課長に就任し、昭和六二年三月に組合を脱退したこと、及び控訴人門山は、平成五年五月一〇日に日本支社総務課に移ったことが認められる。

二  本件違法行為に至る背景について

1  請求原因2(一)の事実は当事者間に争いがなく、右の事実並びに証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められる。

(一)  控訴会社においては、昭和五四年までは旅客数において増加の傾向にあったが、同年をピークとして減少を続けるようになり、昭和五五年には、航空運賃の低下に加えて経費の増大が著しく、大幅な赤字を累積させる状況になった。

(二)  そこで、控訴会社は、昭和五六年三月一六日午前、組合に対して団体交渉を申し入れ、同日午後の団体交渉において、「日本支社再建に関する労使協議事項の提案」(<証拠略>)をもって、日本支社再建のための合理化策を提案するとともに、詳細な説明を行い、組合の同意を得て、全従業員に対し、右提案書を配布して、右合理化策の周知徹底を図った。

(三)  その後、控訴会社、組合と連日、長時間にわたる団体交渉を開催し、前記合理化策について協議を続けた結果、同月一九日の団体交渉において、組合は、控訴会社の示した具体的な退職条件につき、執行部段階では受諾する旨の意思を表明し、組合大会を開催して組合の最終的態度を決定した上、その結果によって組合の態度を表明することにした。

(四)  組合は、同月二二日、臨時組合大会を開催し、中央執行委員会の「日本支社再建に関する労使協議事項の提案に基づいて行われている団体交渉の妥結調印を中央執行委員会に一任する」との収拾案を可決した(賛成一二六、反対二六、保留一二、意思表示なし二)。

(五)  控訴会社及び組合は、同月二三日の団体交渉において、希望退職の募集期間を同月二三日から同月二八日までとし、七〇名を募集することの了解を含む内容の第一次協定書(<証拠略>)に調印した。

(六)  控訴会社は、各管理職をして、全従業員に希望退職届用紙(<証拠略>。ただし、書き込み部分を除く。)を配布させた上、各職場において希望退職者の募集についての説明、説得をさせたが、右の募集期間内に三二名が希望退職の申出をしただけで、募集人員の七〇名には遥かに及ばなかった。

(七)  そこで、控訴会社は、同月三〇日午前、組合に対し、第一次協定書第五項(指名による退職の件については継続審議とする。)に基づいて団体交渉を申し入れ、同日午後の団体交渉において、「指名による勇退勧告」を提案したが、組合は、これを直ちに実施することには反対し、希望退職者の再募集を行うよう提案し、協議の結果、希望退職者の募集を再度行い、それでも希望退職者が七〇名に達しない場合には、控訴会社が指名により勇退勧告を行うが、「中央執行委員全員一三名、東京、成田、大阪三支部長三名、労働基準法一九条該当者」を除き、全職員の中から指名による勇退勧告を行うことを内容とする第二次協定書(<証拠略>)に調印した。

(八)  第二次協定においては、希望退職者の募集期間が同月三一日から同年四月二日までと定められていたので、控訴会社は、前回同様、各管理職をして、各職場において希望退職者の募集についての説明、説得をさせたところ、右の募集期間内に二〇名が希望退職の申出をし、希望退職者の合計は五二名になったが、募集人員の七〇名には及ばなかった。

(九)  このため、控訴会社は、募集人員に足りない一八名につき「指名による勇退勧告」の実施に関して組合と協議を重ねたが、組合がその実施について強く反対したので、結局、「指名による勇退勧告」をしないことで合意し、同年五月八日、「勇退勧告の件については、これを棚上げする」との確認書(<証拠略>)を取り交した。なお、管理職については、八名が希望退職をしたので、合計六〇名が退職した(退職日は、従業員が四月末日、管理職が五月末日)。

(一〇)  控訴会社は、その後、従業員の採用を全面的に停止し、企業体質の改善を図り、昭和五八年一一月には、会社憲章ともいうべき「AF2000」(<証拠略>)を制定し、日本支社再建のための合理化策の実施を完了した。

(一一)  控訴会社と組合は、昭和五九年九月二〇日、「会社再建の目標は一応ここに達成されたことを確認する。」との協定書(<証拠略>)に調印した。

(一二)  控訴会社は、昭和六〇年から、従業員の採用を再開した。

2  被控訴人が希望退職届を提出しなかったことは当事者間に争いがなく、右の事実並びに証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一)  控訴会社は、被控訴人が勤務成績及び技能において劣っているとの評価をしていたので、希望退職に応じて貰いたい従業員の基準に該当するものとして、退職勧奨の対象とした。

(二)  成田空港支店次長であった訴外久保田は、希望退職の募集が始まった昭和五六年三月二三日、被控訴人に対して合理化の必要性等を説明するとともに、被控訴人は仕事に対する意欲が認められないので、希望退職に応じるのが一番良いと申し向けるなどして、希望退職届の提出を促した。その後も、当時旅客部長であった訴外畔柳、旅客課係長であった訴外山添等が、第一次協定に基づく募集期間中の連日にわたって、入れ代わり立ち代わり、勤務時間内外において希望退職届の提出を促したが、被控訴人はこれに応じなかった。

(三)  第二次協定期間に入ると、被控訴人に対する退職要請はますます強くなって行き、募集期間の最終日である同年四月二日には、訴外久保田から退職を要請されたほか、組合の成田支部委員長であった控訴人金井、中央執行委員であった控訴人加藤及び同井上等から、勤務時間中に大声で「希望退職届を書け。」と言われたり、チョークの粉を被控訴人の制服につけられた上、「誇り高い男だからつけてやったんだ。」と言われたりしたが、被控訴人は、結局、希望退職届を提出しなかった。

(四)  被控訴人は、その後も、控訴会社の日本支社再建策について、「会社再建案は偽物だ。」、「こんな再建案を信じるな。」、「組合執行部は会社とグルになり、仲間の首を切るのか。」などと公言し、他の職員と口論等になることも度々で、他の職員との協調性に乏しく、上司には反発し、他の職員から遊離した存在になっていた。

3  被控訴人が、昭和五六年四月六日から旅客課内のセクレタリアの部屋に移されたこと、遺失物係に配属されたこと、同年一二月初めに統計作業を行うようになったことは当事者間に争いがなく、右の事実並びに証拠(<証拠・人証略>の結果、録音テープ三の原審検証の結果(第二、三回。この証拠能力及び信用性については後記三1参照))及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一)  前記希望退職者の募集により旅客課からも六名の退職者が出て、昭和五六年四月からの実働職員が減少するに伴い、各人の職務内容が大幅に変わることになり、訴外畔柳、訴外山添及び控訴人加藤が協議して、新しいスケジュール及び人員配置が決められた。

(二)  旅客部長である訴外畔柳は、被控訴人の前記2(四)のような態度に照らして、被控訴人が他の職員と協力して業務を行うことには無理があると判断し、第二次協定による希望退職者募集期間の最終日の翌日である同月三日、被控訴人に対して、「仕事をしなくてもよい。」と申し渡した。

(三)  訴外畔柳は、同月六日、被控訴人に対し、旅客課内の通称セクレタリアの部屋に一人だけ移り、会社再建についての考えをまとめレポートにして提出することを指示した。被控訴人は、これに抵抗してレポートを作成しようとはせず、通常の仕事をさせるように要求し続けたが認められなかった。このような状態は約二か月間続いたが、その間の同月二〇日には、セクレタリアの室内灯三組のうち二組の配線が故意に外された。その際、控訴人加藤は、室内灯の修理を求める被控訴人に対し、「再建に対するレポートを書くか。」と尋ね、「室内灯が点灯することと交換条件ですか。」と質問する被控訴人に対し、「いや業務命令だ。」と答え、「業務命令なら紙に書いて下さい。」と言う被控訴人に対し、紙に「ぎょうむめいれい、4がつ20か10じより、かいしゃさいけんについてれぽうとをかけ」と書き、「これならお前も読めるだろう。」と言って渡した。

(四)  同年五月、旅客部長が訴外畔柳から訴外栗本に代わり、被控訴人は、同月下旬から遺失物係に配置されたが、同係の責任者である控訴人加藤から、書類に触ることや電話に出ることを禁止され、「一緒に仕事できない。」などと言われ、実質的な仕事を与えられなかった。

(五)  訴外栗本は、同年一二月初め、被控訴人に統計の仕事をさせることとし、被控訴人の上司である控訴人加藤を通じて、被控訴人に対し、統計作業をするように命じた。

三  本件違法行為について

1  録音テープの証拠能力及び信用性、書証の成立及び信用性及び控訴人金井本人の供述等の信用性

(一)  録音テープの証拠能力及び信用性

右の点に関する当裁判所の判断は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決九八頁二行目の冒頭から同一〇三頁末行の末尾までに記載のとおりであるから、これを引用する。当審において検証した録音テープ(当審検証調書に「録音テープ二」と記載したもの)についても、右に述べたところと同様の理由により、その証拠能力及び信用性を認めることができる。

(1) 原判決九八頁五行目の「録音テープ」の次に「(以下「本件録音テープ」という。)」を加える。

(2) 同九九頁一行目の「後記四」を「前記二」に、同二行目の「強要」を「強く要請」に、同五行目の「退職強要」を「退職の要請」に、同七行目の「再開した」を「再び始まった」にそれぞれ改め、同九行目の「及び訴外高山哲郎(以下「訴外高山」という。)」を削る。

(3) 同一〇〇頁三行目の「の所持」を「を所持していること」に、同一〇一頁七行目の「暴力行為者」を「暴力行為等をしたとされる者」に、同行の「職場という密室」を「周囲に味方する者もいない被控訴人が孤立した状況」にそれぞれ改める。

(4) 同一〇二頁一行目から同二行目にかけての「暴力行為者たる」を「暴力行為をした者であるとされる」に改め、同三行目の「いえず」の次に「、録音された内容が暴力行為等の存在を直接証するものでない場合においても」を加え、同六行目の「さらに」を削る。

(5) 同一〇三頁四行目の冒頭から同末行の末尾までを「あったものと認められる。ところで、録音テープは、限られた時間内における声ないし音を記録するものであり、それ以外の時間帯における声ないし音はもとより、右の時間内におけるものであっても、視覚によって認識し得る状況は記録することができない。したがって、本件録音テープに記録されている激しい口調ないし言葉等が、これに記録されていない状況(例えば、録音が開始される前の挑発的な言動あるいは録音開始後の挑発的な動作)に由来していることもあり得ることである。しかしながら、それがどのような状況の下で発せられるに至ったかはともかくとして、録音状態の良し悪しを別にすれば、録音された時間内に発せられた声ないし音は正確に記録されているのであるから、その限りにおいて、本件録音テープの信用性を否定することはできないというべきである。

なお、本件録音テープのなかには、録音テープ二のように同じテープの中で録音の順序が日時の順序になっていないものもあるが、証拠(<証拠略>)によれば、被控訴人は、間もなく暴力行為等がされることを予想して録音を開始したものの、実際には起こらなかったり、長時間経過した後に起こったりして、テープに何の事件も録音されない無駄な部分が生じ、後日その部分に重ねて録音したために、右のような状態が生じたものであることが認められるのであって、右の事実は本件録音テープの信用性を否定すべき事情には当たらず、他に本件録音テープのうち同一の機会に録音されたとされている部分につき、故意に手を加えて編集等がされたことを認めるに足りる証拠はない。」に改める。

(二)  書証の成立及び信用性

(証拠略)の一(手帳)及び(証拠略)の二(メモ)の各成立及び信用性並びに(証拠略)の成立についての当裁判所の判断は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決一〇四頁二行目の冒頭から同一一二頁二行目の「認められる。」までに記載のとおりであるから、これを引用する。

(1) 原判決一〇六頁三行目の「KIで」の次に「集団」を加え、同一〇八頁一行目の全部を「。そして、右のような記載状況からすれば、暴力行為等の存否という基本的な事実に関する記載内容は、概ね信用することができるということができるが、前記の手帳及びメモは、被害者であるとする被控訴人が記載したものであるから、被害者の立場からする主観的判断や誇張が入り込む余地を否定することができないので、その文言どおりの事実がすべて客観的事実として存在したものと直ちに認めるのは困難というべきである。すなわち、右手帳及びメモの記載のうち、暴力行為の回数及び程度並びに控訴人加藤らの(ママ)四名等の職員の言動の評価に関する部分については誇大な表現がないと断ずることができないので、右の部分(したがって、これに依拠する被控訴人本人の供述及び被控訴人作成の陳述書の記載)をそのまま全面的に採用することは困難であるというべきである。」に改める。

(2) 同一〇九頁七行目の次に行を変えて次のとおり加える。

「また、控訴会社は、本件訴えに先立って昭和五九年一二月二二日に申請された仮処分申請事件(千葉地方裁判所昭和五九年(ヨ)第七一九号)において、前記の手帳及びメモが、最初の段階では疎明資料としては提出されておらず、昭和六〇年三月一二日の第四回審尋期日において初めて提出されたものであること、その前には、被控訴人代理人後藤裕造弁護士が昭和五九年一二月一八日に被控訴人から聴取した内容を記載した聴取書(<証拠略>)及び訴外谷沢紀が被控訴人から聞き取った記録(<証拠略>)しか疎明資料として提出されていなかったこと、右手帳及びメモの記載内容と(証拠略)の記載内容が一致していないことなどを根拠に、右手帳及びメモが前認定のような状況で作成されたものではない旨主張する。

しかしながら、仮処分申請事件のどの段階でどのような疎明資料を提出するかは原則として当事者の判断に委ねられているのみならず、前記手帳及びメモが読み難いものであることからすると、被控訴人の主張するように、仮処分申請事件の性質上、担当裁判官に全貌をできるだけ早く分かりやすくするために、これを整理して事実を取捨選択した疎明資料に作り直して提出することも十分考えられることであるのみならず、(証拠略)の一においては、(証拠略)の二を作成する基になった手帳が存在することに触れているのであるから、控訴会社の主張するような事情があっても、前記の判断を覆すことはできない。」

(3) 同一一〇頁四行目の「五、」を削り、同一〇行目の「<証拠略>」から同行の「信用」までを「その記載内容の信用性については、(証拠略)の一の手帳と同様に判断」に改める。

(三)  当審における控訴人金井本人の供述等の信用性

控訴人金井は、当審における本人尋問において、昭和五九年六月に運航搭載課から旅客部に移ってからも、毎週土曜日に運行搭載課の仕事をしていたこと、土曜日には午後二時が勤務開始時刻であったので、その前には直接運行搭載課へ行って勤務を始めていたこと、右の勤務は、フライト・ウオッチ、フライト・ブリーフィング及びその準備作業が忙しくて、一〇月一三日(請求原因3(一)(4))、同月二〇日(同(8))及び一一月一〇日(同(15))の被控訴人の主張する時間に旅客課へ行って暴力行為等を行えるような状況にはなかったし、また、陳述書(<証拠略>)を作成する当時、運行搭載課の業務日誌で確認した旨供述し、また、陳述書(<証拠略>)にも同旨の記載をしている。

しかしながら、証拠(<証拠・人証略>)によれば、被(ママ)控訴人金井が、旅客課で土曜日である一一月一〇日午後八時五八分及び一二月二二日午後三時三〇分の各フライトログを作成したこと、スケジュール変更で勤務の予定が変わることがあることが認められ、また、控訴人金井の指摘する運行搭載課の業務日誌は証拠として提出されていない。したがって、控訴人金井がその供述するような勤務形態であったことを根拠に、土曜日に控訴人金井が旅客課でしたとされる暴力行為等が、およそあり得ないことであるとすることはできないというべきである。

2  嫌がらせ、暴力行為等

(一)  各行為の存在

被控訴人主張の嫌がらせ、暴力行為等(以下「暴力行為等」という。)の各行為の存在についての当裁判所の認定判断は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決一一九頁八行目の冒頭から同一八八頁一〇行目の末尾までに記載のとおりであるから、これを引用する。

(1) 原判決一一九頁末行の「<証拠略>」の次に「並びに控訴人金井浩二本人尋問の結果(当審)」を加える。

(2) 同一二〇頁二行目の冒頭から同五行目の末尾までを次のとおり改める。

「(2) (2)(一〇月九日)について

証拠(<証拠略>、被控訴人本人尋問の結果(原審第四回))及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

一〇月九日午前一〇時五五分ころ、控訴人加藤は、被控訴人に対し、『こら。ここに来い。』と呼びつけ、被控訴人の頭を平手でついた。

同日午前一一時二〇分ころから約二〇分間にわたり、控訴人加藤及び同井上らは、被控訴人に対し、『辞めろ。』などと大声で言った。」

同九行目の「<証拠略>」の次に「及び控訴人金井浩二本人尋問の結果(当審)」を加え、同末行の冒頭から同一二一頁五行目の末尾までを次のとおり改める。

「(4) (4)(一〇月一三日)について

証拠(<証拠略>、被控訴人本人尋問の結果(原審第一、四回))及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠(<証拠略>、控訴人加藤隆宏(原審)、同金井浩二(当審))は採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

一〇月一三日午後一時三〇分ころから午後二時過ぎころまで、控訴人加藤、同金井及び同井上は、『お前なんか辞めてけ。赤ダニ。』などと言い、被控訴人の机の上にゴミを撒き散らした。

同日午後三時一〇分ころ、控訴人金井は、小冊子で控(ママ)訴人の頭をはたき、同加藤は、被控訴人の顔面を机に打ち付けようとした。」

(3) 同一二二頁三行目の「井上澄郷」の次に「並びに同金井浩二(当審)」を加え、同一二三頁六行目の冒頭から同一〇行目の末尾までを次のとおり改め、同末行の「<2>」を「<3>」に改める。

「(7) (7)(一〇月一九日)について

<1> 証拠(<証拠略>)、被控訴人本人尋問の結果(原審第一、四回))及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を(ママ)認められ、右認定に反する証拠(<証拠・人証略>)、控訴人井上澄郷(原審)・同金井浩二(当審)各本人尋問の結果)は採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

一〇月一九日午前九時ころ、被控訴人が出勤すると、出勤簿が紛失しており、また、被控訴人の机の上に何者かによりマジックインクで『鬼、地獄へ行け、死ね』と落書きがされていた。

同日午後二時ころ、同日午後二時一五分ころ、控訴人加藤は、被控訴人の頭部を指で弾いた。

同日午後二時三五分ころ、控訴人金井は、被控訴人に対してタバコの煙を吹き掛けた。

同日午後二時五五分ころ、控訴人金井及び同井上は、被控訴人に対し、こもごも『俺にガンを付ける気か。』と大声で言った。

同日午後三時一五分ころから午後四時四五分ころまでの間に、訴外久保田は、被控訴人に対し、『君が考え方を変えて、皆に迷惑をかけていることを謝りなさい。』とか『君がいなければ。』などと言い、控訴人金井は、被控訴人に対し、『辞めてけ。』と大声で言い、くわえていたタバコを被控訴人の顔面に押しつけようとした。

これに対して、被控訴人は、その場に居た訴外久保田に『何とかして下さい。』と頼んだが、同人は、『暴力なんか見ていない。』と言って特段の行為をしなかった。

<2> 被控訴人は、控訴人井上が被控訴人の靴先を踏み付けた旨主張し、被控訴人作成の陳述書(<証拠略>)には、『井上(澄)氏が私の顔面をなぐろうとする。私の靴先を踏みつけるなどの暴力行為が続きました。』と記載されているが、(証拠略)の一には右の事実は記載されていない。被控訴人本人は、原審において、右陳述書は(証拠略)の一の手帳のみならず、被控訴人の記憶に基づいて記載されたものであると供述しているが、本件においては長期間に及ぶ多数の暴力行為等が軽微なものまで問題にされており、被控訴人主張の前記の行為は軽微な部類に属することに照らすと、被控訴人の記憶に誤りがないとはいいきれず、右陳述書に記載されているからといって、直ちにこれを信用して右行為の存在を認めることはできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。」

(4) 同一二四頁六行目の「、第三」から同八行目の「ないこと」まで及び同一二五頁八行目の「第三」から同一二六頁四行目の末尾までをそれぞれ削り、同一〇行目の冒頭の「き」の次に「、輪ゴムを飛ばす音はそれ程大きいものではないから、録音テープに右の音が録音されていないからといって、右の事実を否定することはできず」を、同行の「井上澄郷」の次に「・控訴人金井浩二(当審)各」をそれぞれ加える。

(5) 同一二七頁末行の冒頭から一三一頁末行の末尾までを次のとおり改める。

「(9) (9)(一〇月二九日)について

証拠(<証拠略>、被控訴人(原審第一、四回)・控訴人加藤隆宏(原審)各本人尋問の結果、録音テープ二の検証の結果(原審第一、三回))及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠(<証拠略>、控訴人加藤隆宏(原審)本人尋問の結果)は採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

一〇月二九日午前九時ころ、被控訴人が出社すると、被控訴人の机の引き出しの中身が全部紛失していた。

これについて、被控訴人は、直ちに訴外栗本に報告をし、その後、再び自己の机に戻ると、紛失後被控訴人が急遽作り直した統計用紙用のファームが再び紛失していた。被控訴人は、再度訴外栗本に報告したが、同人は何らの措置も講じなかった。

同日午後四時直前ころ、控訴人加藤が被控訴人の机の上にピーナッツの殻を捨てた。被控訴人がこれを写真に撮ろうとしたら、同控訴人が被控訴人に体をぶつけたりして、撮影を妨害した。

(10) (10)(一〇月三〇日)について

<1> 請求原因3(一)(10)のうち、午後三時三〇分ころから午後四時三〇分ころまで職場ミーティングが行われたことは当事者間に争いがなく、右事実並びに証拠(<証拠略>、被控訴人(原審第一、四回))及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠(<証拠略>、控訴人加藤隆宏(原審)・同金井浩二(当審)各本人尋問の結果)は採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

一〇月三〇日午後一時ころ、被控訴人の机の上に何者かによりゴミが乱雑に置かれていた。

同日午後二時二五分ころ、控訴人金井がいきなり被控訴人の頭を小突いた。

同日午後三時三〇分ころから午後四時三〇分ころまでの間に行われた職場ミーティングの際、控訴人加藤ら多数の者が被控訴人に対し、『会社を辞めろ。』との趣旨の発言をした。

右ミーティングの際、控訴人金井がポールペンの先で被控訴人の背中を数回突くなどし、更に同加藤が被控訴人に対し、『本当の暴力をやってやろうか。』と言った。

<2> 被控訴人は、当審において、一〇月二九日に、控訴人加藤が被控訴人の机の上にピーナッツの殻を捨て、被控訴人がこれを写真に撮ろうとしたら、同控訴人が被控訴人に体をぶつけたりしたとの事実があったほかに、同月三〇日の職場ミーティングの直前にも同様の事実があった旨主張しており、被控訴人は、原審及び当審における本人尋問において、右主張に沿う供述をし、陳述書(<証拠略>)にも同旨の記載をしている。

しかしながら、a (証拠略)の一には、右の事実は、一〇月二九日の一連の出来事の記載の一部として同月三〇日の欄に記載(ママ)はみ出して記載されており、同月三〇日の出来事としては記載されていないこと、b 被控訴人は、原審においては、同月二九日の出来事としては主張しておらず、同月三〇日の出来事としてのみ主張していたこと、c 被控訴人は、昭和六〇年二月七日付け陳述書(<証拠略>)にも右bの主張に沿う記載をしていたことなどの事情に照らすと、被控訴人は、当初、(証拠略)の一の記載を見誤って一〇月三〇日のこととしてのみ主張し、陳述書を作成したが、その後、見誤りに気付き、主張の整合性を保たせるため、前記のとおり被控訴人の主張に沿う前記供述及び陳述書の記載をしたのではないかとの疑問を払拭することができない。したがって、前記の証拠だけでは、被控訴人の前記主張事実を認めることはできない。控訴人加藤の陳述書(<証拠略>)に、一〇月三〇日の職場ミーティングが始まる直前に被控訴人が写真を撮ろうとしたことがあるが注意した旨の記載があるが、これによって右の判断を左右することはできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。」

(6) 同一三五頁五行目の「そして」の次に「、前掲証拠によれば」を、同七行目の「であること」の次に「(<証拠略>の一の一〇月二九日の欄に『テープ、写真機の携帯等をADVされる』との記載がある(『ADV』はアドバイスを意味するものと理解される。)ことは、必ずしも右認定の妨げにはならない。)」をそれぞれ加える。

(7) 同一三八頁一行目から同二行目にかけての「以下のとおり、請求原因3(一)(12)」を「次に」に改め、同三行目の「<証拠略>」の次に「及び控訴人金井浩二本人尋問の結果(当審)」を加える。

(8) 同一四〇頁一〇行目の「3」を「1(二)」に、同一四一頁五行目の「<証拠略>の信用性が疑われる」を「、前掲証拠によって前記<1>の事実を認める妨げとなる」にそれぞれ改め、同六行目の「雑音は」の次に「、録音テープ六の検証の結果(原審第二、三回)によれば」を加える。

(9) 同一四二頁二行目の冒頭から同五行目の末尾までを次のとおり改める。

「(14) (14)(一一月九日)について

<1> 証拠(<証拠略>、被控訴人本人尋問の結果(原審第四回))及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

一一月九日午前九時ころ、被控訴人の机の上に何者かにより『お命ちょうだい』、『殺すぞ』、『皆殺し』との落書きがされていた。

同日午後三時二〇分ころから五〇分ころまでの間、控訴人加藤、同井上及び同金井は、被控訴人に対し、『会社を辞めろ。』との趣旨の発言をし、また、控訴人加藤は、被控訴人の身体を平手で殴った。」

同八行目の「加藤隆宏」の次に「・同金井浩二(当審)各」を加え、同末行の冒頭から同一四三頁四行目の末尾までを次のとおり改める。

「(15) (15)(一一月一〇日)について

<1> 証拠(<証拠略>、被控訴人本人尋問の結果(原審第四回))弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠(<証拠略>、控訴人金井本人尋問の結果(当審))は採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

一一月一〇日午前一一時三五分ころから午後〇時三五分ころまでの間、控訴人加藤、同井上及び同金井の三名以外の旅客課職員五名は、被控訴人に対し、『会社を辞めろ。』との趣旨の発言をした。

同日午後五時一〇分ころ、急に何者かにより旅客課内の電灯が全部消された際、控訴人加藤及び同井上は、被控訴人に対し、体をぶつけたり体を揺すったりした。」

(10) 同一四四頁二行目の「前記五1(8)」を「三1(三)」に、同四行目の冒頭から同七行目の末尾までを次のとおりそれぞれ改める。

「(16) (16)(一一月一二日)について

証拠(<証拠略>)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠(<証拠略>)は採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

一一月一二日午後一時三〇分ころから午後二時二〇分ころまでの間、訴外近、控訴人加藤及び同井上らは、被控訴人に対し、『会社を辞めろ。』との趣旨の発言をした。

この際、被控訴人は、人垣の輪の中に入れられ、控訴人井上から数回足蹴りや脇腹に拳を当てられるなどし、また、訴外井上(晋)からも足蹴りされた。」

(11) 同一四五頁六行目の冒頭から同九行目の末尾までを次のとおり改める。

「(19) (19)(一一月二〇日)について

証拠(<証拠略>)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

一一月二〇日午前一〇時過ぎころ、控訴人加藤及び同井上は、傘の水滴を被控訴人の机の上に落とし、控訴人井上は、被控訴人の机の上にコーヒーをこぼし、被控訴人の顔面に向けて数回輪ゴムを飛ばした。

同日午後一時ころ、被控訴人の机の上に何者かにより『バカ』、『生活苦』、『木原一家自殺?』との落書きがされていた。」

(12) 同一四六頁三行目の冒頭から同一四七頁一〇行目の末尾までを次のとおり改める。

「(21) (21)(一一月二四日)について

証拠(<証拠略>、控訴人井上澄郷(原審)、被控訴人(原審第一回)各本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠(<証拠略>、控訴人井上澄郷本人尋問の結果)は採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

一一月二四日午後一時三〇分ころ、控訴人加藤及び同井上は、被控訴人に対し、『エールフランス山口さんを守る会』のメンバーが撒いたエールフランスの職場の内部で管理職等により暴力行為や退職強要が行われているとの内容のビラ(<証拠略>)について抗議をし、これに途中から控訴人加藤(ママ)が加わった。

同日午後一時五〇分ころ、被(ママ)控訴人井上は、被控訴人の顔面を平手で殴り、額に手を押し付けて被控訴人の後頭部を書類棚に当て、控訴人加藤は、被控訴人の袖や襟首をつかんだりした。

同日午後四時ころ、控訴人井上は、被控訴人の首辺りを数回殴った。

(22) (22)(一一月二六日)について

<1> 証拠(<証拠略>、被控訴人本人尋問の結果(原審第一、四回))及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する控訴人金井浩二本人尋問の結果(当審)は採用することができない。

一一月二六日午前九時ころ、被控訴人の椅子に何者かにより針金が二本立てられていた。

同日午後二時三〇分ころから午後三時一〇分ころまでの間、控訴人金井は、被控訴人の顔面を数回平手で殴り、同門山は、被控訴人の大腿部を数回足蹴りし、更にゴミ入れバケツを被控訴人の頭から被せようとし、その際、『辞めてけ。』と大声で言った。

<2> 被控訴人は、控訴人井上が被控訴人の顔面を約二〇回ビンタし、同門山が被控訴人の大腿部を約二〇回足蹴りした旨主張し、前掲各証拠には右主張に沿う部分がある。

しかしながら、前記三1(二)において述べたように、(証拠略)の一の記載には被害者の立場からする誇大な表現がないとはいえないのであって、この観点から前記被控訴人の主張に沿う記載部分の信用性には疑問があり、これに基づく(証拠略)及び被控訴人本人尋問の結果の前記部分も同様であり、これらによっては前記主張事実を認めることはできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

<3> 控訴人門山は、当審における本人尋問において、一一月二六日午後二時三〇分から午後三時一〇分の間は、当時勤務していた運航搭載課職員として、午後九時に出発するAF二七三便の搭載報告書(<証拠略>)の作成を行うのに絶対に必要な時間であり、その時間帯には旅客課事務所に行く暇はなかった旨供述する。

しかしながら、同人の右供述によれば、右報告書は出発の五時間前の午後四時までに提出するものとされており、必要な情報が早く集まればその前の午後三時一五分に提出した事例もあること、及び右報告書の作成自体にはそれほど時間を要しないこと、運航搭載課と旅客課とは一〇〇メートル位しか離れておらず、一分ないし三分もあれば行けることが認められるのであるから、控訴人門山の前記供述をもってしても、同控訴人が業務に支障を生じさせないで前記<1>の行為をすることは可能であると認められるのであって、右供述をもって前記の認定を覆すことはできず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。」

同末行の「<2> これについて、」を「<4>」に改める。

(13) 同一四九頁一行目の「第一の点は」の次に「、顔面を殴った回数及び大腿部を足蹴りにした回数がそれぞれ約二〇回であるとの点については、そのまま認定することができないことは、既に述べたとおりであるが、回数の点はともかくとして」を加え、同五行目の「<証拠略>」から同六行目の「信用できない」までを「前記のとおりである」に改める。

(14) 同一五〇頁七行目の冒頭から同一六六頁五行目の末尾までを次のとおり改める。

「(23) (23)(一一月二七日)について

証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠(<証拠略>、控訴人井上澄郷本人尋問の結果(原審))は採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

一一月二七日午前九時ころ、被控訴人の机の中に何者かによりコーヒーで湿らせた新聞紙が詰め込まれていた。

同日午前一〇時三〇分ころ、控訴人加藤及び同井上ら数名の者は、被控訴人を数回平手で殴った。

同日午後一時ころ、被控訴人の机の上に何者かにより『赤い宗教に凝り過ぎ、懲戒免職』と落書きされていた。

同日午後三時四〇分ころから、控訴人加藤及び同井上ほか多数の者が被控訴人を取り囲み、その間、控訴人井上は、被控訴人の顔面を数回平手で殴った。

(24) (24)(一一月二八日)について

証拠(<証拠略>、被控訴人本人尋問の結果(原審第一回))及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠(<証拠略>)は採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

一一月二八日午後二時ころから、控訴人加藤、同井上及び同金井は、被控訴人に対し、『会社を辞めろ。』との趣旨の発言をし、被控訴人を平手で数回殴った。

同日四時ころ、控訴人加藤がタバコの吸殻の入った灰皿の中身を被控訴人に向けて投げ、控訴人金井が被控訴人に『片付けろ。』と言った。

(25) (25)(一二月三日)について

証拠(<証拠略>)及び弁論の全趣旨によれば、請求原因三(一)(25)の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(26) (26)(一二月五日)について

<1> 証拠(<証拠略>、被控訴人本人尋問の結果(原審第一回))及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠(<証拠略>、控訴人加藤隆宏本人尋問の結果(原審))は採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

一二月五日午後五時ころから五時四五分ころまでの間に、控訴人加藤は、被控訴人の左側頭部を机に押し付けようとし、同井上は、被控訴人のネクタイを引っ張ったり、被控訴人をボードに押し付けたりし、更に、控訴人加藤は、灰皿の中身を被控訴人に向かって投げ、『お前がいるからこういうことが続くんだ。』と言った。

<2> なお、被控訴人は、同日、途中から訴外栗本も加わって退職強要をした旨主張し、(証拠略)の一には、『一七一〇頃か偶然クリも入る』との記載があり、(証拠略)にも同旨の記載がある。しかしながら、訴外栗本の参加の態様が具体的に明らかでないので、右の記載だけから被控訴人に(ママ)主張事実を認めることはできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

(27) (27)(一二月七日)について

証拠(<証拠・人証略>、被控訴人本人尋問の結果(原審第一回))及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠(<証拠・人証略>、控訴人加藤隆宏本人尋問の結果(原審))は採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

一二月七日午後二時ころ、控訴人加藤は、被控訴人の襟首をつかみ、その後頭部を数回鉄製ファイル棚に打ち付けた。

同日午後四時ころ、控訴人加藤は、被控訴人に対し、数回にわたり足蹴りし、平手で殴り、灰皿の中身を被控訴人に向かって投げ、ゴミ入れをその頭に被せた。

被控訴人は、灰をかけられた状態を訴外常世田に確認させた上、訴外栗本に報告したが、同人は、『そんなことあるのか。』と言っただけで特別の措置を講じなかった。

被控訴人は、同日帰宅後、妻の訴外ヨシ子に『今日は頭からゴミや灰をかけられたので直ぐに風呂に入る。』と話し、その際、左足に内出血があった。

被控訴人は、翌日、船橋二和病院において診察を受け、病名を左大腿部打撲血腫とする診断書(<証拠略>)を得た。

(28) (28)(一二月八日)について

証拠(<証拠・人証略>、被控訴人本人尋問の結果(原審第一回))及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠(<証拠略>、控訴人加藤隆宏本人尋問の結果(原審))は採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

一二月八日午後〇時一五分ころ、控訴人井上は、出勤してきた被控訴人に対し、『お前なんか帰れ。』などと大声で言った。

同日午後一時一五分ころ、控訴人加藤は、被控訴人の顎を殴り、控(ママ)訴人を膝で蹴ったりした。

被控訴人は、訴外藤平に対し、前記診断書を渡して右暴行について報告、抗議し、訴外藤平は、『診断書は預かっておく。後で加藤君から事情を聞く。』と答えた。

同日午後二時二〇分ころから、控訴人井上は、被控訴人を蹴り、同加藤は、被控訴人を殴り、更に顔面に唾を吐き掛けた。

その後、訴外久保田は、訴外藤平から『被控訴人から控訴人加藤に暴力を振るわれたとの訴えを受けた。』旨の報告を受け、訴外栗本及び控訴人加藤から状況の報告を受けたが、控訴人加藤は、暴力行為をしたことを否定し、同月九日付けでその旨の訴外栗本宛て報告書(<証拠略>)を作成し、訴外栗本を経由して訴外久保田に提出した。訴外久保田は、他に特段の措置を講じなかった。

(29) (29)(一二月一〇日)について

証拠(<証拠・人証略>、被控訴人本人尋問の結果(原審第一回))及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠(<証拠略>、控訴人加藤隆宏本人尋問の結果(原審))は採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

一二月一〇日午前一〇時ころ、控訴人加藤は、被控訴人の後ろから同人の襟首をつかんで引っ張り、その際、被控訴人は、その左足を机の角にぶつけた。被控訴人は、『何をするんですか。やめて下さい。』と叫んだが、同控訴人は、被控訴人を遺失物係の机の上に仰向けに押し付けるなどした。その後、被控訴人は、空港クリニックにおいて、左膝に全治一週間を要する打撲、内出血の傷害を負った旨の診断を受けた。

被控訴人は、右の内容を記載した診断書(<証拠略>)の写しを控訴人リスパル、訴外藤平及び訴外本間に見せて暴力行為をなくすよう要請した。

同日午後二時四〇分ころ、控訴人井上は、被控訴人のネクタイとシャツのボタンを無理にはずして、『裸で外を歩いて来い。』と大声で言った。

その後、訴外久保田は、訴外栗本から『被控訴人から控訴人加藤に暴力を振るわれたとの訴えを受けた。』旨の報告を受け、訴外栗本を通じて控訴人加藤に報告書を提出するよう指示し、同控訴人は、暴力行為をしたことを否定する内容の同日付け訴外栗本宛て報告書(<証拠略>)を作成し、訴外栗本を経由して訴外久保田に提出した。訴外久保田は、他に特段の措置を講じなかった。

(30) (30)(一二月一一日)について

証拠(<証拠・人証略>、控訴人加藤隆宏(原審)・被控訴人(原審第一回)各本人尋問の結果)によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠(<証拠略>、控訴人加藤隆宏本人尋問の結果(原審))は採用することができない。

一二月一一日午後九時ころ、控訴人加藤は、被控訴人の顎を手拳で殴り、そのはずみで被控訴人の眼鏡が飛んで破損した。

同日午前一〇時五〇分ころ、旅客課員の取り囲む中で、控訴人加藤は、被控訴人の顎の下に手をかけ押して、同人の後頭部をフライトインフォーメーションボードに打ちつけた。

これらについて、被控訴人は、訴外久保田に抗議した。訴外久保田は、被控訴人の顎辺りに特段の異常を認めなかったが、被控訴人と旅客課に赴いて、控訴人加藤に問いただしたところ、同控訴人は暴行の事実を否定し、周囲にいた職員も暴行の事実はなかったと否定した。

同日午後三時五〇分ころ、控訴人井上は、被控訴人の上着とシャツにコーヒーをかけた。被控訴人はコーヒーで濡れたままの服装で訴外久保田に抗議したが、同人は特段の措置を講じなかった。

同日午後五時一五分ころ、控訴人井上は、被控訴人のズボンにコーヒーをかけた。これについて、被控訴人は訴外久保田に再度抗議したが、同人は特段の措置を講じなかった。

(31) (31)(一二月一二日)について

<1> 証拠(<証拠・人証略>、被控訴人本人尋問の結果(原審第一、四回)))(ママ)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠(<証拠略>、控訴人加藤隆宏本人尋問の結果(原審))は採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

一二月一二日午後一時五〇分ころ、控訴人井上は、被控訴人のズボンにコーヒーをかけた。これについて、被控訴人は訴外藤平に抗議したが、同人は特段の措置を講じなかった。

同日午後二時過ぎころ、控訴人井上は、被控訴人に対し、灰皿に入ったタバコの吸いがら及び灰を肩にかけ、爪先で被控訴人の右足を蹴るなどした。これについて、被控訴人は訴外藤平に抗議したが、同人は特段の措置を講じなかった。

同日午後二時四五分ころ、控訴人加藤は、被控訴人に対し、顔面を殴り、逃げようとする被控訴人を捕まえようとした。これを見ていた訴外井上(晋)は、『この野郎。』などと叫んで、被控訴人の襟をつかんで同人を書類棚に押さえ付け、被控訴人を平手で数回殴った。これについて、被控訴人は、訴外藤平に抗議した。

なお、被控訴人は、同日、船橋二和病院において、全治二週間を要する右大腿部・頸部・左手首・右上肢打撲傷を負った旨の診断を受けた。

その後、訴外藤平は、被控訴人からの訴えを受け、訴外栗本を通じて控訴人加藤に報告書を提出するよう指示し、同控訴人は、暴力行為をしたことを否定する内容の同月一四日付け訴外栗本宛て報告書(<証拠略>)を作成し、訴外栗本及び訴外藤平を経由して訴外久保田に提出した。訴外久保田は、他に特段の措置を講じなかった。

<2> (証拠略)の二には、前記傷害のうち左手首、右上肢打撲傷の原因となる暴力行為の記載はないが、この日被控訴人は、控訴人加藤、同井上及び訴外井上(晋)から数回の暴行を受けており、その一々を漏らすことなくメモすることは困難であるから、(証拠略)の二に記載がないからといって、右の傷害が前記暴力行為によって生じたものではないということはできない。

(32) (32)(一二月一四日)について

<1> 証拠(<証拠・人証略>、被控訴人(原審第一回)・控訴人加藤隆宏(原審)各本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠(<証拠略>、控訴人加藤隆宏本人尋問の結果(原審))は採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

一二月一四日、控訴人加藤は、同月一二日に職場及び自宅に何者かから嫌がらせの電話が架かってきたことについて、被控訴人が関与しているのではないかと疑い、出勤するや否や同人に抗議した。

同日午前九時五分ころ、被控訴人は、同月一二日の暴力行為について訴外栗本に報告し、暴力を止めさせるよう求めたが、同人は特段の措置を講じなかった。

同日午後二時一五分ころ、控訴人加藤は、被控訴人に対し、同月一二日の事件について誰に口外したのか問い詰め、被控訴人の顎を手拳で数回殴った。その後、被控訴人は、空港クリニックにおいて、口腔内裂創を伴う両頬部打撲傷を負った旨の診断を受けた。これについて、被控訴人は、訴外藤平に対して診断書(<証拠略>)の写しを見せながら報告し、次いで、訴外栗本にも報告した。

その後、訴外栗本は、控訴人加藤や他の職員を呼んで調査したが、皆が暴力行為があったことを否定していたので、同控訴人から同趣旨の内容を記載した訴外栗本宛ての同日付け報告書(<証拠略>)を徴して、その旨を訴外久保田に報告した。

<2> 控訴人らは、第一に、被控訴人が本当に両頬打撲の傷害を負ったというのであれば、訴外ヨシ子が被控訴人の顎や頬の異常に気付くはずであるのに、気付かなかったというのは不自然であること、第二に、翌一五日に被控訴人と一緒に昼食をしたという訴外常世田がその時のことを覚えていないということは、被控訴人が常世田に対して特に記憶に残るような暴力行為の話をせず、昼食も普段どおりに食べ、変わったことは何もなかったということである旨指摘し、被控訴人が暴力行為を受けて口の中を切ったという主張が虚偽である旨主張する。

しかしながら、(証拠略)(診断書)により、被控訴人が一二月一四日に前記の傷害を負っていたことは明らかであり、被控訴人が同日より前に右の受傷をしたことを窺わせる証拠はないので、右の受傷の事実は同日に発生したものと認めざるを得ない。そして、(証拠略)(同日撮影の写真)によれば、被控訴人の顎及び頬に腫れ等の顕著な外見的所見は見られないのであるから、訴外ヨシ子が被控訴人の異常に気付かなかったとしても異とするには当たらない。また、前記第二の点も前認定を覆すに足りる事情には当たらない。

(33) (33)(一二月一五日)について

<1> 証拠(<証拠略>、被控訴人本人尋問の結果(原審第一回))によれば、一二月一五日午後一時過ぎころ、控訴人井上が、執務中の被控訴人のズボンにコーヒーをかけたこと、これについて、被控訴人は訴外本間に抗議したが、同人は格別の措置は講じなかったこと、控訴人井上は、その後暫くして、再度、コーヒーを被控訴人のズボンにかけたこと、これについても、被控訴人は訴外栗本に抗議したが、同人は格別の措置を講じなかったこと、被控訴人が控訴人井上に右行為に対して抗議し、同控訴人との間で押し問答を続けたことが認められる。

<2> ところで、被控訴人は、控訴人門山が、『お前なんかやめてけ。』と暴言を吐きながら、逃げる被控訴人の上着の襟をつかんで二、三回腰投げをかけようとし、最後に二人一緒に倒れ、被控訴人が起き上がって逃げようとすると、控訴人門山が被控訴人を捕まえて、被控訴人の上着の襟首を両手で持ち、強く締めた上で腰投げをかけ、その際、被控訴人が気を失い、床面又は机等に後頭部を強く打った結果、被控訴人が頭部外傷(後頭部打撲、皮下出血)、頸髄損傷症、これに伴う右上肢・口角周囲のしびれ感、知覚異常、頭痛等の各傷害を受けた旨主張するところ、右主張に沿う直接の証拠としては、被控訴人作成の陳述書(<証拠略>)並びに被控訴人本人の供述(原審、当審)のほか、証拠(<人証略>、被控訴人本人尋問の結果(原審第一、四回))により、被控訴人が入院した翌日の一二月一六日に、被控訴人が妻ヨシ子に口述してこれを筆記させて作成されたものと認められる(証拠略)があるが、控訴人らは前記の事実を強く争い、右事実の存在を否定する報告書(<証拠略>)及び陳述書(<証拠略>)を提出し、また、控訴人門山隆一(当審)・同井上澄郷(原審)各本人尋問の結果を援用しているので検討する。

ア 請求原因3(一)(33)のうち、控訴人門山が、同日午後二時前後ころ、旅客課に現れたこと、被控訴人が、同日、空港クリニックにおいて診察を受けた後、成田赤十字病院に同日から昭和六〇年一月一五日まで入院し、同月二八日に出社したことは当事者間に争いがなく、右の事実並びに証拠(<証拠・人証略>、被控訴人本人尋問の結果(原審第一回))及び後記括弧内掲記の証拠によれば、次の事実が認められる。

a 被控訴人は、一二月一五日午後二時三〇分ころ、旅客部からキャセイパシフィック航空会社の旅客部事務所に行き、同会社の職員常世田政幸に対し、控訴人門山から背負い投げか腰投げのような技をかけられて、頭がふらふらする旨を訴えた。常世田は、被控訴人の様子が異常であると感じて、控訴会社の旅客課事務所に抗議をしに行った(<証拠略>)。

b その後、被控訴人は、頭痛等を訴えて成田空港内にある空港クリニックにおいて診察を受けたところ、後頭部やや右側に腫れがあり、自発痛及び圧痛があり、頭部外傷(後頭部打撲)に伴う意識混濁、一過性健忘及び右上肢・口角周囲のしびれ感、知覚異常、頭痛があり、精査の必要があるとして、成田赤十字病院で診察を受けるように言われ、午後三時四〇分ころ、一旦帰宅してズボンを履き替えてから、成田赤十字病院の救急外来で診察を受け、頭部、頸部などの異常を訴えた(なお、前記後頭部の腫れが一二月一四日以前に出来たものであることを認めるに足りる証拠はない。)(<証拠略>)。

c 成田赤十字病院の救急外来担当の一般外科藤崎安明医師は、受傷当時に軽度の健忘があり、受診時に被控訴人の後頭部に皮下出血が、右上肢に知覚障害がそれぞれあるが、レントゲン検査では頭蓋骨骨折等の異常はないと診断した。しかし、被控訴人がCT検査などの精密検査を希望したので、後頭部打撲、頸髄損傷との病名のもとに、経過観察の目的で被控訴人を脳外科病棟に入院させた。なお、同病院では、CT検査を緊急に行う必要はないとの判断のもとに、正規の順番である昭和六〇年一月一〇日に右検査の予約をした(<証拠略>)。

d 前記病院では、被控訴人が頸髄損傷の存在を疑わせるような症状を強く訴えたので、一二月一七日に被控訴人を整形外科病棟に移し、ベッド上で一日中頸椎の牽引を行い、安静を命じて経過を観察した。被控訴人は、同月二〇日、病棟内で行われたクリスマスパーティーに無許可で参加しようとしたため、看護婦に注意されたことがあることや客観的検査で異常が認められないことなどから、同病院では、被控訴人の訴えの割には症状が重くないものと判断し、同月二四日から、牽引治療を一日中継続する必要はないとして、頸にカラーを着用しての座位を許可し、同月二七日以降は、牽引装置付ベッドを使用させてはいたが、特に牽引を行うことは指示しなかった(<証拠略>)。

e 前記病院の医師山本日出樹は、入院後の経過観察から、被控訴人の訴える症状は、頸髄に衝撃が加わった直後に起こる一過性の神経機能障害で一時的なものであり、後遺症もなく治癒するものであると判断し、当初の病名である『頸髄損傷』を『頸髄振盪』に改めた。なお、CT検査の結果でも、被控訴人に異常は認められなかった(<証拠略>)。

f 前記山本医師は、昭和六〇年一月八日、頸髄振盪により、今後約三週間の安静加療を要する見込みで、その後更に約一か月の通院加療を要し、その間、頸椎カラーの装着が必要であると診断した(<証拠略>)。

イ 証拠(<証拠・人証略>、被控訴人本人尋問の結果(当審、原審第一回))及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人は、一二月一三日午後一時一三分ころ、普通乗用車を運転していた際、対向する普通乗用車と接触する交通事故に遭遇し、このため、被控訴人運転の車両は右前部フェンダー付近が少し凹損したほか、右側の前部から後部にかけて擦過痕が生じたこと、被控訴人及び同乗者二名並びに対向車の運転者は、その後特に身体の異常を訴えなかったこと、及び警察は右事故を物損事故として処理したことが認められる。

ウa 平成四年三月四日に行われた原審検証の結果及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人が腰投げを掛けられたと指示する位置と倒れていたと指示する位置及び倒れた方向とが符合しないこと、及び旅客課事務所は机、椅子等が散在していて狭く、ここで逃げたり追い掛けたりすることは考え難いことが認められる。

b 原審(人証略)は、被控訴人の身体は全身アザだらで、成田赤十字病院の医師から、『絶対安静が必要であり、ひどくなると植物人間になる。』と言われた旨供述し、陳述書(<証拠略>)にも同旨記載しており、また、当審(人証略)も、一二月一六、七日ころ、同病院に行ったところ、両腕、胸、両大腿など、以前にも増して身体中アザだらけで、内出血の跡が歴然としていた旨、及び看護婦及び訴外ヨシ子から、『絶対安静が必要であり、ひどくなると植物人間になる。』と言われた旨供述している。

しかしながら、前記アc及びdに認定したとおり、一二月一五日には、空港クリニック及び成田赤十字病院において、後頭部打撲以外の打撲症については全く問題にされていなかったこと、及び成田赤十字病院における前記の治療経過に照らすと、同病院の医師又は看護婦が被控訴人の症状について前記のような話をするとは考えられないことなどに照らして、右の各供述及び陳述書の記載はいずれも採用することができない。

c 当審(人証略)は、平成五年一一月二〇日、平成六年一月に本件につき第一審判決が言い渡されることになっていたので遅すぎるかも知れないが、もしかしたら真実を述べてくれるのではないかとの期待を持って、山根淳とともに控訴人門山宅を訪れたところ、同控訴人は、一二月一五日の件につき、『自分としては助けに行くつもりだったが、結果として、被控訴人を投げて、一緒に倒れて、被控訴人が頭をぶつけてしまった。被控訴人にはお詫びのしようもない。』との趣旨の話をした旨供述している。

しかしながら、訴訟において、事実関係を争っている控訴人門山に対し、審理終結後に前記供述のような目的で訪問し、前記のような内容の話を聞いたということはいかにも不自然であるのみならず、控訴人門山の話の内容も、助けに行ったのに逆に暴行を加えたというものであり、極めて不自然であって、にわかに信用することができない。

d 被控訴人は、当審における本人尋問において、昭和六一年七月一九日午前八時三〇分ころ、たまたま歯科医院で控訴人門山と出会ったところ、同控訴人が話をしたいというので、焼きそば屋で一〇時三〇分ころから一一時三〇分ころまで話をしたが、その際、同控訴人が『俺は、暴力行為をこれ以上やめさせようと旅客課へ行った。うまく腰投げにかかれば良かったのに、君が大きいから(腰投げが)かからなかった。(途中で)気を失うなんて計算外だった。』と話したと供述し、陳述書(<証拠略>)にも同旨の記載をした上、右話合い後帰宅して作成したというメモを添付している。

しかしながら、右の時期は、既に本件訴えが千葉地方裁判所佐倉支部に提起され、控訴人らが事実関係を争っている段階であり、このような時期に、控訴人門山の方から積極的に訴訟の相手方である被控訴人に対して事実関係を認める発言をしたというのは、いかにも不自然であるのみならず、仮に右のような事実があったというのであれば、原審において当然問題とされてしかるべきであるのに、このことが原審で問題にされなかったことは、いかに主張立証の時期が原則として当事者の裁量に委ねられているとはいえ、不自然というほかない。そして、控訴人門山がしたという発言内容も、その趣旨が不明である。したがって、前記の供述及び陳述書の記載を直ちに信用することはできない。

e (証拠略)は、昭和六〇年一月九日に成田赤十字病院において撮影した被控訴人がベッドに寝て頸椎の牽引をしている状況の写真であるが、これによっては、控訴人門山が被控訴人主張のような暴行を働いた事実はもとより、既に前記アc及びdに認定した以上に被控訴人の被った被害内容を証するものということはできない。

右ウに述べたとおり、被控訴人提出の証拠には種々の疑問があり、ひいては被控訴人提出、援用に係る冒頭掲記の証拠の信用性にも疑問を生じさせかねないものである。

しかしながら、前記アに認定した事実によれば、被控訴人が一二月一五日に後頭部打撲の傷害を負い、その時期は、控訴人門山が旅客課事務所に来た後のことであると推認され、被控訴人の主張する控訴人門山の行為以外に右傷害の原因となる事実を認めるに足りる証拠がないことを考慮すると、冒頭掲記の被控訴人の主張に沿う証拠によって、控訴人門山が、一二月一五日午後二時過ぎころ、被控訴人に対し、『お前なんかやめてけ。』と言いながら、逃げようとした被控訴人を捕まえ、二、三回腰投げをかけようとして、一緒に床に尻餅をついたような形で倒れ、その後、逃げようとする被控訴人を捕まえ、同人の襟首をつかんで再び腰投げをかけ、被控訴人の後頭部を床面か机等のいずれかに打ち付けて、後頭部打撲傷を負わせたこと、その過程において被控訴人が一時意識を失ったこと、その後被控訴人には意識混濁、一過性健忘、右上肢・口角周囲のしびれ感、知覚異常、頭痛等の症状がみられたこと、以上の事実を認めることができる。

<3> 次に、被控訴人の負った傷害の程度について検討すると、被控訴人の訴えた症状にはこれを裏付ける客観的検査所見に乏しかったこと、被控訴人は、一二月一三日午後一時一三分ころ、交通事故に遭遇しているところ、事故の規模は小さく、事故現場では身体の異常を訴えた者がなく、物損事故として処理されたことは、前認定のとおりである。しかし、証拠(<証拠略>)によれば、いわゆる鞭打ち症も右と同様の症状を呈することがあるところ、交通事故によって発症する鞭打ち症は、事故後直ちに発症するとは限らず、二日後に発症することも稀ではなく、しかも客観的検査所見を伴わないことも珍しくないことが認められる。以上の事実を総合すると、被控訴人が控訴人門山の前記暴力行為によって負った傷害のみによって、前記のとおりの長期間の入院加療が必要となったと断ずることは困難であるというべきである。そして、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。」

(15) 同一六七頁二行目の「証言」を「供述」に改め、同一六八頁六行目の冒頭から同一六九頁八行目の末尾までを削る。

(16) 同一七〇頁一行目の「逃げ回って」を「して」に、同九行目の「原告が主張するように、被告門山が原告を追いかけて」を「前認定のように、控訴人門山が逃げようとする被控訴人を捕まえて」にそれぞれ改め、同末行の「倒れた位置」の次に「及び方向」を加える。

(17) 同一七一頁七行目の「原告」から同八行目の「であり、」までを「裏付けを欠く単なる」を加え、同九行目の冒頭から同一七四頁六行目の末尾までを削る。

(18) 同一七九頁末行の「記載」の次に「、当審検証の結果」を加える。

(19) 同一八八頁一〇行目の次に行を変えて次のとおり加える。

「しかしながら、弁論の全趣旨によれば、旅客課ではスペースが狭いこともあって、各職員に専用ロッカーを備えることができないので、職員のうち専用ロッカーを与えられているのは、旅客課長及び女子職員のみであり、係長は係長用ロッカーを、男子職員は男子職員用ロッカーを適宜共用して使用していたこと、前記三名の新入社員は女子職員であったことが認められる。したがって、控訴人加藤の行為が被控訴人に対する差別に当たるということはできないし、また、被控訴人を呼び捨てにしたからといって、被控訴人に対する違法行為には当たらず、結局、被控訴人主張の前記行為は不法行為に当たるということはできない。」

(二)  右(一)の(1)ないし(59)の各事実の検討

(1) (1)ないし(59)の事実の中には、人が社会生活を営む上で、あるいは、職務を遂行する過程で、他人と接触することにより不可避的に生じる摩擦ないしトラブルといった類の社会人として当然に受忍すべきもので、それだけを取り上げた場合には違法な行為とはいえないものも含まれている。しかしながら、そのような行為であっても、行為のなされた状況、行為者の意図、他者との共謀関係等によっては違法な行為となり得る場合があることは否定することができない。

被控訴人は、控訴人加藤ら四名が被控訴人を退職に追い込むことを目的として、それぞれ共謀、役割分担をして、継続的に前認定の暴力行為等をした旨主張するので検討する。

右四名が暴力行為等をすることを事前に共謀したことを認めるに足りる直接の証拠はない。しかし、(1)ないし(33)の事実についてみると、前記一2及び二2(四)に認定したとおり、a 控訴人加藤ら四名は、いずれも昭和五五、五六年度に組合の中央執行委員あるいは成田支部長を勤(ママ)めた者であり、右四名のうち控訴人門山を除くその余の三名は、その後も昭和五八年度まで組合の役員を続けた者であること、b 本件期間中、控訴人加藤は旅客課部長補佐、同金井は同課課長代理、同井上は同課主任の地位にあり、同じ課に所属していたこと、c 控訴人加藤、同金井及び同井上の加わった暴力行為等は多数に上っており、そのうち相当数につき共同して行っていること、d 控訴人加藤、同金子(ママ)及び同井上のいずれかの者が直接行為をしていないものも、いずれも旅客課内で行われており、行為の内容も右三名の控訴人らの直接に関与した行為の内容と類似していること、e 被控訴人は、第二次協定に基づく希望退職者の募集期間が経過し、かつ、勇退勧告をしないとの確認書に調印された後にも、控訴会社の日本支社再建策について、『会社再建案は偽物だ。』等の言辞を繰り返すなど、他の職員から遊離した存在になっていたことなどの事情を総合すると、被控訴人の右のような態度が、右控訴人らの暴力行為等を誘発する一因となり、同じ課員として被控訴人と接触する機会の多い旅客課職員が被控訴人に対し反発し、一緒に仕事をしたくないとの気持ちから、ひいては被控訴人の退職を望んで嫌がらせをするようになり、これが行き過ぎて暴力行為等にまで至ったものと推認することができる。前記(一)の(7)に認定したように、訴外久保田が被控訴人に対し、『君が考え方を変えて、皆に迷惑をかけていることを謝りなさい。』と発言していることは、いみじくも右の事情を裏付けているということができる。右のような事情から、控訴人加藤、同井上及び同金井等が被控訴人に対し、『会社を辞めろ。』との趣旨の発言をしている場合にも、右のような気持ちからの発言であり、控訴会社の方針として退職を強要したと評価するのは相当でないというべきである。しかしながら、右の事情及び前認定の暴力行為等の反復性からすると、同じ旅客課に所属していた控訴人加藤、同井上及び同金井は、他の旅客課職員とも暗黙裡に意思を相通じて前記の各行為に関与したものと推認するのが相当である。なお、控訴人門山については、運航搭載課に所属している上、同控訴人のした暴力行為等は二回にすぎない(前記(一)の(22)及び(33))ことからすると、同控訴人が旅客課職員と意思を相通じて暴力行為等に参加していたものと推認するのは困難であるので、同控訴人が直接関与した行為についてのみ、控訴人加藤、同井上、同金井らと明示的又は黙示的に共謀したものと認めるのが相当である。

したがって、前記(一)の(1)ないし(33)の各事実は、控訴人門山を除く控訴人加藤ら三名あるいは控訴人門山を加えた控訴人加藤ら四名が、明示又は黙示に共謀し、あるいは、それを察した控訴会社の他の職員が行った職場における集団による被控訴人に対するいじめないし嫌がらせとしての暴力行為等と認められるから、そこに含まれる事実は全体として(控訴人門山についてはその関与した部分について)一つの違法な行為として不法行為を構成するものというべきである。

(2) なお、前記(一)の(59)の行為が違法行為に当たらないことは、すでに述べたとおりである。同(34)ないし(58)の行為については、a 行為者が控訴人加藤ら四名以外の者であり、かつ、有形力は殆ど行使されていないこと、b 証拠(<証拠略>)によれば、被控訴人は、控訴人らを相手方として、昭和五九年一二月一五日以降の同年内に暴力行為の禁止等を求める仮処分申請をしていたと認められるのであって、このような状況下で、控訴人加藤ら四名が相互にあるいはないし他の職員と共謀して従前と同様の行為を継続する意思を有していたとは考え難いこと、c 右の各行為は、いずれも各行為者において被控訴人を好ましく思っていなかった心情が背後にあったとしても、それぞれ個別の事情に基づいて発生したトラブル又はいざこざと評すべきものであること、以上の事情を総合すると、右の各行為は、被控訴人に対する違法行為に当たるというほどのものではないと評価するのが相当である。

3  仕事差別

(一)  被控訴人の統計作業について

被控訴人が、昭和五六年一二月初めから本件期間中を含めて最近に至るまで、上司である控訴人加藤の直接の指示のもとに、統計作業に従事してきたことは当事者間に争いがなく、証拠(<証拠略>、控訴人加藤隆宏(原審)・被控訴人(原審第一、四回)各本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人の担当した統計作業は、次の(1)ないし(4)に記載するとおりであること、被控訴人は、自ら統計の書式を考案してこれを控訴人加藤に対して提案し、同控訴人とともに右提案も取り入れた書式(<証拠略>)を作った上で統計作業を開始したこと、右統計作業の方法は、被控訴人が統計作業を開始してから約三年後に当たる本件期間中まで改善されないままで行われてきたことが認められる。

(1) 各便毎のクラス別座席占有率

旅客の動向は季節毎に変動するので、旅客をエコノミークラス、ビジネスクラス、ファーストクラス別に、季節及び曜日別に座席占有率を把握して、中・長期の営業政策と運賃政策の資料にするものである。

(2) クラス変更の旅客数

便によっては、満席のためクラス変更を余儀なくされることがあるので、この変更の最終状況を把握して、クラス別座席占有率を効果的に調整するための資料とするものである。

(3) 新東京空(ママ)港を出発してパリを中継地とする乗継旅客数・荷物数、目的地及び利用便

パリにおける乗継旅客の接遇体制の充実、乗継旅客の荷物の確実な乗継便への移動、直行便のある競争航空会社に対する営業政策の資料とするほか、冬の東京―パリ間の飛行時間の違いによるパリ到着時間に合わせた接続便の時間設定のための資料とするものである。

(4) ノーショー率

国際線航空会社においては、予約取消料金の定めがなく、予約の取消手続をしないで予約した便に搭乗しなかった旅客(ノーショー客)に対して予約取消料金を徴収しない慣習があり、これがノーショー客を生む主たる原因となり、ノーショー客の数だけ空席を生じることになる。そこで、営業政策上、顧客に対して予約の再確認(RECONFIRMATION)を呼び掛けノーショー客の減少を図るとともに、それでも生じるノーショー客の数を予め把握し、その一定割合につき、座席数以上の予約販売をして、空席が生じることを減少させる必要が生じることになる。ノーショー率は、その本来の目的からすれば、効果的な予約受付及び座席占有率の向上を図るとともに、的確な最終搭乗者数の把握によって、機内食のロスを出来るだけ少なくし、その経費を節減するための資料となるものである。

(二)  被控訴人の職務内容変更の合理性について

(1) ノーショー率の算出方法

<1> 証拠(<証拠略>、被控訴人(原審第一、四回)・控訴人加藤隆宏(原審)各本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

ア 成田空港からの予約者のノーショー率は、ノーショー客の数を同空港からの真の搭乗予約者数で除して算出される。しかし、被控訴人は、本件期間中、実際には、前記のとおり控訴人加藤と被控訴人とで作成した書式(<証拠略>)に従って、最終搭乗者リスト(<証拠略>)上の乗客数を予約者リスト(<証拠略>)上の予約者数で除して算出していた。右予約者リストには架空人が含まれており、逆に、予約しているにもかかわらず予約者リストに載らない客(隠し客)が存在するほか、大阪で予約した形になっている団体客が東京と大阪から分かれて搭乗する場合には、東京からの搭乗者が予約者リストには表れない処理(アールボーディング)が行われていたため、予約者リストは成田空港からの真の搭乗予約者を表していなかった。また、最終搭乗者リストには、予約しないで突然入り込んで来る客(ゴーショー客)が含まれていた。したがって、被控訴人が行っていた方法は、ノーショー率はもとより、予約者数に対する実搭乗者数の割合も算出することはできないものであった。なお、被控訴人は、架空人、隠し客、アールボーディングの処理、ゴーショー客の各存在及び数を知らされていなかった。

イ ところで、最終搭乗者リストは、予約者リストに架空人、アールボーディング等について修正した最終予約者リストともいうべきチェックインリスト(<証拠略>)上の予約者から実際に搭乗しなかった者(ノーショー客)の氏名を抹消し、予約しないで搭乗した者(ゴーショー客)及び隠し客の氏名を書き加えたものであるから、これからノーショー客数及び実搭乗者数は明らかになるが、ゴーショー客か隠し客かの別及び無償客の有無及び数を把握することはできないので、これのみによって真のノーショー率を算出することはできないが、チェックインリストの予約者数を分母とし、最終搭乗者リストに記載されたノーショー客数を分子として計算することによって、不正確ながらも一応のノーショー率を算出することは可能である。

<2> 控訴人らは、チェックインリストの旅客数を分母とし、最終搭乗者リストの旅客数からゴーショー客や無償客の数を引いた残りの数を分子として計算することによりノーショー率を算出することは可能であり、控訴人加藤は、被控訴人に対して右のようにしてノーショー率を算出するように指示説明をしたのに、被控訴人が指示どおりに行っていなかった旨主張し、控訴人加藤も、原審における本人尋問において同旨の供述をしている。

しかしながら、控訴人加藤が前記の供述に至る過程において、ノーショー率の算出方法について混乱した供述をしていたことに照らすと、右供述によって、同控訴人がノーショー率を控訴人ら主張のようなものと理解した上で、被控訴人に対して指示説明したものと認めることはできず、他に控訴人らの主張する右事実を認めるに足りる証拠はない。

むしろ、前記<1>掲記の証拠によれば、被控訴人は、控訴人加藤に対し、統計結果をその都度報告していたこと、控訴人加藤は、統計作業を指示した当初、被控訴人が指示どおりに処理しているか否かを点検した上で行わせていたこと、及び被控訴人がノーショー率としては明らかにおかしいと認められる一〇〇パーセントを超える数値を控訴人加藤に報告した際にも、同控訴人は被控訴人に何の指示もしなかったことが認められるのであって、これらの事実を総合すると、被控訴人が控訴人加藤の指示に反してその作業を行っていたものとは認められない。

(2) 旅客課における統計作業

証拠(<証拠略>、被控訴人(第一、四回)・控訴人加藤隆宏(原審)各本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

<1> 前記のとおり、ノーショー率を知るためには、真の搭乗予定者とノーショー客の両者の把握が必要であるところ、架空人、隠し客等を除外した真の搭乗予約者については、もともとは東京支店予約課において把握しており、フライトの直後に旅客課から送られて来る最終搭乗者リストを基にコンピューターを使用して、一日一日のノーショー客の動向を把握していた。

右予約課では、本来の業務として、ノーショー客に関するパリ以遠の航空便の予約及びホテル、ハイヤー等の地上手配等の各取消業務等を行っていたほか、後日、当該旅行代理店に連絡して予約コードの適切な管理を要請していたが、ノーショー率の算出はしていなかった。

<2> 旅客課においては、各フライトの直後に他の職員がチケットチップ(<証拠略>)を作成しており、これによれば、各フライト毎の搭乗者の有償・無償の別、等級昇格が明らかになる。

<3> 旅客課では、被控訴人が行っていた統計の基になる資料を各フライト直後にパリの本社及び日本支社営業管理課に送り、右営業管理課において、乗継客に関する情報、有償乗客と無償乗客の区別に関する情報をコンピューターで処理し、運賃収入の概算額を推計するなどの統計を毎月一回作り、その一セットを旅客課に送っていた。

<4> 被控訴人の行った統計の結果は、フライトから相当な期間経過した後に営業管理課に送られていた。

<5> 被控訴人が昭和五九年一二月一六日から昭和六〇年一月二七日まで休暇を取っていた間、旅客課の職員が被控訴人に代わって統計作業をしたことはなく、また、その間、旅客課において統計作業に関する事務等について、被控訴人に問合わせ等を行ったことはない。

右<1>ないし<5>の事実によれば、被控訴人の行っていた統計の個々的な事項については、控訴会社の他の職員によって別の目的のために集計等がされており、あるいは、統計を取ろうとすればより正確な統計を作成することができるものであったということができるが、証拠(<証拠略>)及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人の行った統計は、中・長期的な観点からの統計であると認められ、既に行われていた統計とはその目的を異にするのであるから、前記(一)に認定したような目的のもとに被控訴人のしていたような統計作業をすることが無意味ないし不要なことであったと決め付けることはできない。右統計の目的からすれば、早いに越したことはないにしても、特に急ぐ性質のものではないから、右<4>及び<5>の事実があるからといって、右の判断を左右するものではない。

しかしながら、被控訴人の行っていた統計作業のうちで座席占有率を高めるために重要な一つの資料であるノーショー率の算定については、被控訴人の行った方法では不正確なものしか算定できないこととなり、証拠(<証拠略>、被控訴人本人尋問の結果(原審第四回))及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人は、控訴人加藤が昭和六三年六月二七日の原審第一八回口頭弁論期日における本人尋問の際、被控訴人に指示したノーショー率の算定方法は誤っていたので、今後算定方法を改める旨の供述をしたため、同年七月一日、控訴人加藤宛てに「私は八年間本来の仕事を取り上げられ、さらにその間会社にとって無駄な仕事をしていたことが明らかになりました。このうえは一刻も早く私を元の旅客課員としての仕事に戻すよう強く要求いたします。」との要求書を送付し、控訴人加藤からはその直後ころ二回程統計を続けるよう指示されたが、そのころから、控訴人らの主張するようなノーショー率の算出はしていないことが認められる。

右の事実によれば、被控訴人の行っていた統計作業の実際上の有用性はかなり低いものであったと認められる。

(三)  被控訴人の納得の有無

この点に関する当裁判所の判断は、原判決二〇三頁九行目の冒頭から同二〇五頁九行目の末尾までに記載のとおりであるから、これを引用する。

(四)  被控訴人の職務能力等

(1) 証拠(<証拠略>、控訴人加藤隆宏(原審)・被控訴人(原審第一、四回)各本人尋問の結果)によれば、被控訴人が入社以来昭和五六年三月までの約八年間従事していた仕事は、空港運輸の事務に関する専門的な知識、技能、経験を要するものであったのに対し、統計作業はコンピューター処理された到着便、予約者、最終搭乗者の各リストを各統計用紙(<証拠略>)に書き写して集計するという作業であり、従前の仕事に比較すれば単純な作業であることが認められる。

(2) 控訴人らは、被控訴人が昭和六三年六月から配置された遺失物係において、被控訴人の業務処理能力が劣っていたところ、たまたま訴外栗本から、従来より営業部門から強く要請のあった統計の件を旅客部でできないかとの相談があったので、訴外畔柳は、遺失物係は一人減らしても十分やっていけること、被控訴人をこの仕事に当てれば同人が起こしている旅客や他の職員とのトラブルも解消できることなどから、被控訴人に統計作業をさせることにした旨主張するので検討する。

<1> 証拠(<証拠略>、控訴人加藤隆宏本人尋問の結果(原審))及び弁論の全趣旨によれば、a 被控訴人は、昭和四八年五月二八日、控訴会社に入社して以来、勤勉でない、素直でない、理屈っぽい、迅速性に欠ける、チームの一員として他の職員と協調して上司の指示に従って正しく仕事をする態度に欠けるなどと評価され、毎年一月一日付けで行われる定期昇給においては、昭和五三年までの六年間、自動昇給のみで査定による昇級(ママ)は全くされなかったこと、b 訴外畔柳は、昭和五四年には長年の念願であった新東京国際空港への移転が実現したため旅客課職員全員に考課昇給をさせ、昭和五五年には被控訴人に奮起を促す意味で考課昇給をさせたが、その後も被控訴人の勤務成績はよくならなかったものと評価されていたことが認められる。

<2> 被控訴人が昭和五六年四月以降に与えられた仕事は、前記二3に認定したとおりであるところ、控訴人加藤は、原審における本人尋問において、被控訴人は、同年六月から配属された遺失物係において、ミスを繰り返して旅客とトラブルを起こすなど、業務処理能力が著しく悪く、注意しても改善されず、そのために被控訴人を一人でもできる統計の仕事に回せばトラブルを解消できるために配置替えをした旨供述し、(証拠略)(同控訴人の陳述書)にも同旨の記載をしている。

しかしながら、右の供述は、具体性に乏しく、直ちに採用することはできず、他に遺失物係における被控訴人の勤務成績が控訴人らの主張するようなものであったことを認めるに足りる証拠はない。

(五)  右(一)ないし(四)に説示したところ並びに前記二2及び3に認定した事実によれば、控訴会社は、被控訴人につき、入社以来、勤務成績及び勤務態度が悪く、チームの一員を(ママ)として他の職員と協調して上司の指示に従って正しく仕事をする態度に欠けるなどと評価してきたものであるところ、昭和五六年三月、控訴会社の日本支社再建策の実施の際に、被控訴人が、右再建策について、「会社再建案は偽物だ。」等の言辞を繰り返すなどし、他の職員との協調性に乏しく、上司には反発し、他の職員から遊離した存在になっていたことなどから、訴外畔柳らは、被控訴人に対する態度を硬化させ、同年四月から被控訴人を一人だけセクレタリアの部屋に移し、会社再建についてのレポートの提出を命じるとして実質的な業務をさせず、同年五月、被控訴人を遺失物係に配置替えをした後にも、実質的な仕事を与えておらず、同年一二月初め、訴外栗本らは被控訴人に統計の仕事をするように命じたものということができる。

被控訴人のこのような態度に照らすと、訴外畔柳が被控訴人をセクレタリアの部屋に移したことも理解できないではないが、被控訴人が右のような態度を示すようになったことには、管理職等が、希望退職者の募集期間中とはいえ、勤務時間内外にわたり、被控訴人に対して希望退職届を提出するよう強く要請し続けたことにもその一因があり、被控訴人が前記のような態度を取ったことにつき被控訴人のみを責めることはできないものというべきであるから、被控訴人をセクレタリアの部屋に移し、レポートの作成を命じて実質的な仕事をさせなかったことは、行き過ぎの措置というべきである。

そして、その後、遺失物係においても実質的な仕事を与えず、右係における被控訴人の勤務態度が著しく不良であったものと認めることができないのに、前記のとおり、訴外栗本は、被控訴人に対し、全く無意味・無価値であるとまではいえないにしても、実質上の有用性はかなり低いものであった統計作業のみを行うよう命じ、その後本件期間終了までの約七か月間(統計作業を命じられてから当審口頭弁論終結まで約一四年間)これに従事させたのであり、右の措置は、控訴会社の再建策に反対を唱える被控訴人に対し、栗本旅客部長が被控訴人の上司である控訴人加藤を通じて命じたものであるから不当な差別であるといわざるを得ない。なお、右の行き過ぎた行為が被控訴人の任意の退職を期待してのものであったとしても、これを強要する目的でされたものと認めるに足りる証拠はない。

四  控訴会社及び控訴人リスパルの関与について

1  控訴会社

被控訴人は、暴力行為等及び仕事差別は、控訴会社自身の意思に基づいて行われたものであり、仮にそうでないとしても、控訴会社は、被控訴人に対し職場内において控訴人加藤ら四名から暴力行為等及び仕事差別が行われている事実を知っており又は知ることができた旨主張する。

被控訴人が、昭和五九年夏以降、当時の日本における代表者であった日本支社長、訴外久保田、同藤平及び同栗本らに対し、繰り返し抗議、要請等の文書を送付し、あるいは口頭で抗議、要請し続けたことは当事者間に争いがなく、証拠(<証拠略>、被控訴人本人尋問の結果(原審第四回))によれば、被控訴人は、昭和五九年九月一八日付け文書で日本支社長に対し、日本支社が、昭和五六年三月以来、退職勧奨に応じなかった職員を差別している旨、及び控訴人金井の暴力行為に対し、厳重に処分すべきである旨などを記載した文書を送付し、同月一九日、同じ文書を控訴人リスパルにも送付したことが認められ、また、控訴人リスパルに対する要請については、後記2(一)に認定するとおりである。

しかしながら、右の事実から、暴力行為等及び仕事差別が控訴会社の意思に基づいてなされたものであると認めることはできず、他に右の事実を認めるに足りる証拠はない。また、既に認定したとおり、暴力行為等は主として成田空港支店の旅客課員によるものである上、数度にわたる調査に際して、控訴人加藤等から暴行の事実はない旨の報告書を受けていたのであり、仕事差別も旅客課内の職務分担の問題であるから、前記の事実から、控訴会社自身が被控訴人に対する暴力行為等及び仕事差別が行われておりあるいは将来も行われるであろうことを知っており又は知ることができたものと認めることもできず、他に右の事実を認めるに足りる証拠はない。

2  控訴人リスパル

(一)  暴力行為等について

被控訴人は、控訴人リスパルが、成田空港支店の職員をして、被控訴人に対し、積極的に暴力行為等を行わせ、あるいは、職員が被控訴人に対して暴力行為等を行っていることを知っており又は知り得たことを前提として、同控訴人の不法行為責任を主張するところ、前記三2(一)(29)に認定したように、控訴人は、一二月一〇日に被控訴人から診断書(<証拠略>)の写しを見せ(ママ)て暴力行為をなくすよう訴えられたことがあるが、その後、訴外久保田が控訴人加藤に報告を求めたところ、同控訴人が暴力行為を否定する内容の報告書を提出した事実に照らすと、被控訴人から右のような訴えがあったからといって、直ちに被控訴人主張の事実を認めることはできず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(二)  仕事差別について

証拠(<証拠・人証略>)によれば、成田空港支店においては、課から課への異動は支店長に決定権限があり、課内の職務の担当は部長に決定権限があったことが認められ、右の事実によれば、旅客課内における被控訴人の職務の担当は旅客部長が決定権限を有しており、現に被控訴人に統計作業を行わせることを決定したのは訴外栗本であったことは既に認定したとおりである。しかしながら、控訴人リスパルが、本件期間中、成田空港支店の職員に対して包括的に指揮、命令、監督権限を有していたことは当事者間に争いがなく、同控訴人は、被控訴人に対し、不当な仕事差別が行われていることを知っていたか、少なくともこれを容易に知り得たものと推認することができる。

五  控訴人らの責任について

1  控訴人加藤ら四名の責任

前記三に認定説示したところによれば、控訴人加藤、同金井及び同井上は、前記三2の(1)ないし(33)の行為に基づく損害につき連帯して賠償責任を負い、同門山は同(22)及び(33)の各行為に基づく損害につき右控訴人らと連帯して賠償責任を負うというべきである。

2  控訴人リスパルの責任

控訴人リスパルは、少なくとも仕事差別を知り得たのであり、それにもかかわらず何らの対処もしなかったものであるところ、同控訴人が成田空港支店長たる立場にあったことに照らせば、右の不作為は違法というべきであるから、この点について、同控訴人は民法七〇九条により損害賠償責任を負う。

3  控訴会社の責任

被控訴人は、控訴会社に対しては、控訴会社の責任根拠として民法四一五条、七〇九条、七一五条一項を選択的に主張しているところ、既に述べたところによれば、控訴会社について民法四一五条及び七〇九条の責任は問い得ないと解されるので、民法七一五条一項の責任について検討する。

(一)  暴力行為等について

前記(1)ないし(33)の暴力行為等は、業務遂行過程における些細な事柄に端を発して、いずれも就業時間中に就業場所において行われた被用者同士の行為であり、被控訴人の損害は、控訴会社の事業の執行行為を契機とし、これと密接な関連を有すると認められる行為によって加えられたものであるということができるので、民法七一五条一項にいう控訴会社の「事業ノ執行ニ付キ」行われたものであり、控訴会社は被控訴人に対して損害賠償責任を負うというべきである。

(二)  仕事差別について

前認定の仕事差別が、控訴会社の被用者である訴外栗本及び控訴人加藤により、控訴会社の「事業ノ執行ニ付キ」行われたものであることは明らかであるから、控訴会社は被控訴人に対して損害賠償責任を負うというべきである。

六  損害について

1  慰謝料

既に認定したところによれば、被控訴人は、暴力行為等や仕事差別を受けてきたのであり、これが被控訴人に対する違法な侵害であることはいうまでもない。しかしながら、暴力行為等の点については、被控訴人が、他の職員との協調性に乏しく、他の職員から遊離した存在になっていたことなどの事情があり、被控訴人の右のような態度が、控訴人らの暴力行為等を誘発する一因となり、同じ課員として被控訴人と接触する機会の多い旅客課職員が被控訴人に対し反発し、一緒に仕事をしたくないとの気持ちから、ひいては被控訴人の退職を望んで嫌がらせをするようになり、これが行き過ぎて暴力行為等にまで至ったものと推認することができることは前記のとおりであり、また、被控訴人の受けた暴力行為等を言葉で表現すれば前記のとおりのものとなるが、その程度については、医師の診断を受けていないものについては、言葉で表現したところから受ける印象よりも軽度なものであったと推認される(そうでなければ、被控訴人の身体に傷害が残らないことは考えられない。)。更に、仕事差別の点については、控訴会社は、被控訴人につき、入社以来、勤務成績及び勤務態度が悪く、チームの一員として他の職員と協調して上司の指示に従って正しく仕事をする態度に欠けるなどと評価してきたものであり、また、それ故に希望退職者の募集期間内において、退職勧奨の対象者として、退職方を強く説得してきたものであるところ、昭和五六年三月、第二次協定に基づく希望退職者の募集期間が経過し、かつ、勇退勧告をしないとの確認書に調印された後にも、被控訴人が前認定のような態度を示し、他の同僚職員との協調性を欠くに至ったため、訴外栗本らが被控訴人に対する態度を硬化させ、同年四月から前記のような仕事を行わせるようになったものであるから、訴外栗本らの採った措置も理解できないではない。しかしながら、被控訴人が右のような態度を示すようになったことには、希望退職者の募集期間中とはいえ、管理職等が勤務時間内外にわたり、被控訴人に対して執拗に希望退職届を提出するよう強く要請し続けたことにもその一因があり、被控訴人が前記のような態度を取ったことにつき被控訴人のみを責めることはできないことは、既に述べたとおりである。以上の事情及び本件訴訟に顕れた一切の事情を勘案すれば、被控訴人に対する慰謝料としては、暴力行為等に対するものとして総額二〇〇万円(控訴人門山が責任を負うのはこのうち二〇万円)、仕事差別に対するものとして一〇〇万円が相当であると認められる。

2  弁護士費用

被控訴人は、暴力行為等による慰謝料請求につき弁護士費用として二〇〇万円の支払を請求しているところ、被控訴人が本訴の提起、追行を弁護士に委任したことは記録上明らかであり、控訴人らの暴力行為等の不法行為と相当因果関係にあるものとして控訴人らに請求し得べき分としては、三〇万円(控訴人門山も責任を負うのはこのうち三万円)が相当であると認める。

七  結論

以上のとおりであるから、暴力行為等につき、控訴会社、控訴人加藤、同金井及び同井上は、被控訴人に対し、連帯して二三〇万円及びこれに対する遅延損害金の、控訴人門山は、被控訴人に対し、右控訴人らと連帯して二三万円及びこれに対する遅延損害金の各支払義務を負い、仕事差別につき、控訴会社及び控訴人リスパルは、被控訴人に対し、連帯して一〇〇万円及び遅延損害金の支払義務を負うというべきであるが、被控訴人のその余の請求は、いずれも理由がないので棄却すべきである。

よって、右と一部異なる控訴人門山に関する部分を右のとおりに変更し、その余の控訴人らの各控訴及び被控訴人の附帯控訴はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九五条、八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 清水湛 裁判官 瀬戸正義 裁判官 西口元)

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